ハルヒ未読者の憂鬱

なんだか書いてる内に言葉が刺々しくなってきたような気がするので、隔離。


京都アニメーションがどうして1話であんな暴挙に(と、あえてここでは言います)及べたかというと、1話だけ見て切る未読者なんて知ったこっちゃない、ふもっふ-AIRで培ってきた信頼があれば次も見てくれるだろういう計算等もあるんだろうけど、もう一つ。既読者が2chやブログで、「これは番外編でつまらないことをつまらなくやってるんだからつまらなくて当然。次から本編だから絶対1話で切らないで下さい!」と書くことまで想定してたんだとしたら、ちょっと面白いなあと。

こうした「ネット時代」のファン意識をとらえた作り手のスタンスも、これからのアニメ作りの参考になるのではないかと思う。


http://plaza.rakuten.co.jp/bunkateki/diary/200511290000/より


先を見据えたシリーズ構成をしたい。そのために、通常のような「掴み」を行えなくとも、1話でこういう仕掛けをしたい。しかし、それでは1話で多くの脱落者を出す危険性がある。かといって自分たちで仕掛けを説明するのは寒い。よし、ここは原作既読者に「これはこういう仕掛けなんですよ」というのを説明してもらおう……。


未読者が既読者の人の意見を聞いて、「じゃあ次も見てみようか」と考え直している光景をよく見ます。誰の目にも、ああいうことをわざとやっているというのは一目見れば明らかだと思うんですよ。しかし、じゃあどうしてそうしたかという意図が未読者には分からない。アニメを見てる人の何割がネット上で他人と感想を共有しているかは知りませんが、あの1話を見て、未読者が「なんだこりゃ?」と首を傾げ他の人の感想を見に行く……というのは、まあありうる流れかと。


人間、好きなものを貶められていい気はしません。blogなり匿名掲示板なり、発言する場所があればそこで擁護する人が出てきます。その声が大きくなり過ぎれば信者と呼ばれウザがられますが、そうでなければ制作サイドにとっては商品を購入してくれるだけでなく、無料で広告活動まで行ってくれる非常にありがたい存在です。実際秘密主義により公式サイトがこんな状態では、未読者が手っ取り早く情報を得るためには既読者から引き出すしかありません(もしくは原作を購入するか。これならなおいい)。少なからず制作サイドはその辺りを期待していたのではないでしょうか。


個人的には、いくらあの劇中劇に伏線が詰め込まれてると説明されようと、つまらないものをつまらなく作ってるんだろうと、問題はそこじゃなくて、主人公のナレーションとか、公式サイトの作りとか、そういうしてやったり感が根本的に苦手な人には未読とか関係なく楽しめないということなんですけれどね。時々、不条理感とかを指して「ぱにぽに」との類似(あと、杉田智和のツッコミ)を挙げる人もいますけど、生理的にダメな人にはとことんダメだという点では、確かに似てると思いますよ。


……ただ、あの合わない人はとことん合わない感触は、アニメだけじゃなくて、原作からしてそうだって気もします。