フレーム憑き 視ることと症候/斎藤環/青土社

フレーム憑き―視ることと症候


告白します。斎藤環先生のことをずっと女性だと思ってました。多分、サブカル方面に言及するメディア露出の多い精神科医ってことで、ずっと香山リカと勘違いしてたのではないかと……それはともかく、彼の新刊は今まで書いた映画、アニメ、漫画についての評論をまとめた本。映画が全体の3分の2を占め、それ以外がアニメ、漫画なのですが映画は門外漢のため斜め読み。購入を考える方もそこらへんは注意した方がいいかと。


さて、この人の本は初めて(「戦闘美少女の精神分析」見つからない……)だったのですが、納得できることもあれば?と思うこともしばしばありました。例えば、宮崎駿について


>だがそう、宮崎駿ロリコンだ。そのことは何度でも指摘されなければならない。
>しかも彼は、不能ロリコンだ。


とばっさり切って、宮崎駿の魅力はマスコミに良く取り上げられるような自然がどうしたといったテーマ性などではなく、「エロス」と「運動」(リミテッドアニメではない、止め絵を使わない)だと断ずる辺りは「よくぞそうストレートに言ってくれた」と思いました。ただまあ、前者はそれを宮崎本人が自覚せず、むしろ頑固に否定しているからこそ、オタは古今東西のダイレクトな萌えアニメ以上に宮崎アニメに惹かれるんだと思いますが。それとメカを描くのがうまいってのも宮崎駿の魅力として挙げられるところですが、関係ないのでそこには触れません。


納得できなかったのは新海誠について、やたら既存のオタクから離して考えたがるということ。本人の意思はどうあれ、例えば作者がべた褒めしてるような、バス停とか電線とか空とか、日常の何気ない情景をそれっぽく(褒め言葉)描写してみせるってのはガイナを見るまでもなく、すごいオタと親和性が高いと思うんだけどなあ。私もそういう情景描写は好きですし。オタお得意の被害妄想かもしれないけど、そこらへんが「サブカル系」の人のアレな匂いがぷんぷんして嫌でした。この人が「オタク」ってのをどういう意味で使ってるのか分からないけど、サブカルとオタの違いってなんだろうね。外に向けて開いてるか閉じてるか、とか?自分の趣味に自信を持てるか?私には違いなんてあんまりないように見えます。


他には押井守あずまきよひこ黒田硫黄、はては野比ノビタなどについても書かれていますが、ここでは割愛。なんにせよ、それぞれの評論にそれほど一貫性もなく独立してるので、斎藤環の本として初めて読むには丁度いいんじゃないか、と思いました。