毒につきスルー推奨

ネット上に公開しといてこんなこと言うのがどれほど我が侭かってことは分かってはいるつもりなんですけど。何もかもネットに公開しなきゃ気が済まない病気。忍耐が足りない。


去年の超先生の時にも感じたことだけど、人の死に対してネット上で何らかの追悼の意を示そうとすると、相手の顔が見えない分色々要らないことを考えてしまって嫌だ。元々、有名人が亡くなった時にマスコミが大泣きしてる葬式の参列者を写してるのとか凄い嫌いなんだけど、そういうのとはまた違う感じ。喪に服すと称してサイトのデザインを変えたり。・゜・(ノД`)・゜・。とか( ´Д⊂ヽ みたいな2chのAAを使って哀悼の意を述べてる人がいたり追悼記念で何らかの商品が出たり「ファン」がそれを買って故人の思い出に浸ったりそういうの全部が嘘っぽいというか本当に悲しんでるのかどうか分からない。悲しんでる自分に浸りたいだけなんじゃないかと思ってしまう。それが追悼OFFなんかに発展するともう見てらんない。あーなんか凄い青臭いこと言ってる俺。でも未だにそう思う。結局は追悼なんてものは人それぞれが心の中で静かに故人を思うだけでいいんじゃないかってことなんだけど、でもじゃあそもそも俺がサイトでああいう文章を公開することも自己満足に過ぎないんじゃないという思いも。いや、個人サイトは須らく自己満足のためってのが俺の考えだからそれはいいんですけど。でもそれって結局宗教観とかの違いに過ぎないのかな。自分が死んでもあんまり沈んでほしくないって人もいるだろうし。つーかこんな時にこんなこと考える自分が一番嫌だ。
故人の思い出を他人と共有したいって人とただ騒ぎたいだけの人。両者にどれだけの違いがあるんでしょうか。