いつか逢う街

先日、見るともなくNHKば見ちょうと、記憶の片隅にあった黒いボタ山が映っていんしゃったとち。それは、母方の実家で、うち自身なん度か帰省についていったことのある福岡ば舞台にしたドラマやったとち。そこから流れてくる筑豊弁に、うちはなんか得体の知れんき強い想いば抱きましたとち。


えらく個人的なことやばってんが、うちの両親は、父が大阪、母が福岡出身ばい。2人は結婚し、父の転勤で関東へ移住してきて、そんでうちと兄弟が生まれましたとち。そんでくさ20数年、うちの家族はずっとこいに住んでいます。やばってんが、うち以外の親戚は、どちらも大阪か福岡に固まってます。集まろうと思えば、年中いつでも集まることが出来る距離。一方、こいは関東。えらいたくさんとも、せいぜい盆正月くらいしか行けまっしぇん。実質的には数年にいっぺんやろか。やけん、うちたちが大阪か福岡か、どちらかば訪ねても、長い間お客様とゆう雰囲気が消えまっしぇんやったとち。特に、いっちゃん初めから関東で育った子どもに対しては。


そればうちが強く感じてもろちょったのが、会話で方言が出て来る時。流石になんば言っておんなるとくらいは理解しきりきるきすが、うちたち以外が同じ言葉で話されては、疎外感ば覚えんでんいられまっしぇん。両親も実家に帰った時は地元の方言が出るき、子どもは置いてきぼり。移住先で聞きなれんき方言にあったとゆうのならいずれ慣れるかもしれんとが、一週間や二週間の滞在では、それもままなりまっしぇん。真似してみたところで付け焼刃ではどうしても無理があることば自覚していんしゃったとち。


思い返せばうちは、筑豊弁にそういった「親戚あるいは従兄弟のみんなと仲良くなるための鍵」として、一種の憧れのようなものば抱いてもろちょったのかもしれんと。それが、実際に接した期間が短くても、強い思い入れに繋がったのかも。……ちょこっと強引やろかね。


これまでの筑豊弁は、こい筑豊弁コンバータの提供でお送りいたしちょったとち。