ガラスの仮面#51「紅天女」

まあ、今まで放送してきた中でどこで区切るかっつったらそうなるよなあ。といったところで、1年やってきてこれかよ!と、どうしても納得できないものは残ります。しかし、納得いく最終回を作るためには、1からあの膨大な原作を再構成するか(まあそれが脚本家の仕事だろ!と言われればそれまでなんですが)、いっそ原作者本人に脚本を書いてもらうくらいしかありませんし。原作の最終巻が、後発の筈のアニメに引っ張られたロスト・ユニバースみたいになっちゃうかもしれないし。せめて、マヤと亜弓さん主役じゃなくて、最初から先生の物語として作っていたら、もうちょっと納得できたかもしれません。


1年間楽しんできたわけですが、視聴意欲を支えてきた要素は二つ。一つは、マヤと亜弓さんという2人の演劇サヴァンの魅力。特に亜弓さんは後半に行くにつれ、徐々に人間味が増してきて登場するごとに好きになっていきました。それとは逆に、回を追うごとに人間離れしていったのがマヤ。いや、真澄さんとの恋愛など、わりと普通の女の子っぽいところもあったんだけど、ああも圧倒的な演技をされると何もかも打ち消されます。そして二つ目の要素である時々暴走する演出も、そんなマヤに引っ張られてどんどん大仰というか、前衛的な表現になっていきました……。序盤はまだ、何の演技をしていて、何が凄いのか、というのがこちらにも分かったんだけど、最後は最早演技なのかすら分からない……これが、真の芸術の前には言葉なんて無力、ということですか?なんか違うような気もします。


でも、これでようやく安心して原作が読めます。三ヶ月に一冊位のペースで読んでいけば完結までにちょうどいいかな。